ブログの容量はぱんぱんですが、文字を書くくらいならいけそうなので、最近おもっていることをつらつらと書いてみる
年々、自分を取り巻く環境は変わっていく
ゆうべ樹木希林さんの著書が並べられているのが目に留まったので、ほんの少しだけパラパラっと捲りました。
彼女らしい言葉の数々で、すこし微笑ましく思いながら本を閉じましたが←ちょっと買ってみたいな、と思った
最近もやもやと考えていたことを改めて再確認したというか、世に溢れる様々なハウツー本やブログ・サイトだけでは自分の心は満たされない…また、どこにも私に合う心の拠り所はあるわけではなく、
また、私そのものを癒してくれるわけではない事をあらためて再認識した。
救いの言葉や癒しになる言葉、啓蒙、世の中にはきっとたくさん溢れているけれど、それも昔よりいくらでも容易に手に入れることができるけど、
昔よりも心が安定的な人が少ない、心が貧しい人が昔より多いと私自身が感じるというのはきっと、
きっとそれらの言葉は心地よく感じたとしても、自分そのものを救ってくれるものではない
という事をまず知る・私が受け止める事からが必要だなと感じました。
樹木希林さんの本はパラパラっとめくっただけでも実に彼女らしい事が書かれていて、
自分らしくいる事、楽しいことに関しては少々頑固なくらいが微笑ましいなと、ものの数行で私の心に元気の源ができた気がした。
さて、では樹木希林さんがもし私より年下の女性であったならばどうだろう?
その上でもし、まだ存命で活躍している人であったならばどうだろう?
きっとあの本をチラ見した時とは違う感想を持った事だと思います。
我々は知らず知らずのうちに、知りもしないその人からみえているイメージでレッテルをはり、そこから感じる許容範囲内の驚きで心地いい事があればそれらを心から認め、称賛し、
許容範囲外の驚きであれば直ちに不快感を得、不満へと変わるのかなと。
さて、お仕事の話に戻りましょう
ならば、年々…おそらく女性ならとくに感じていく辛さの1つに、「老い」があります。
16歳・17歳をピークに身体のみずみずしさは失われていきますね。ここはあくまでも生物的な意味で。
その頃の大半の人は学生である事が多く、昔と違って社会に出る前の狭い世界でその人生の肉体的ピークを過ぎてしまいます。
18歳になった時、後輩たちの若さ・勢いを目の当たりにしながら、すこしさみしい思いをするものです。
24歳くらいになると、若い子たちには若いと思われなくなり、さらに女性としてのピークをなんとなく考えてしまいがちにはなるものの、
社会人としては華の20代のため かなりチヤホヤされます。
それに満足する事なく、可能な限り会社の為・人の為、できるだけ力になりたいと高みを目指し頑張り抜く事ができました。
認められ、欲しいと言われ、地方から支部へ、支部から本社へ、駆け抜けるように過ぎていった20代。
キャリアをつみ、本社から本部へきたと、これからだという所で
これまでに味わったことのない、違和感→挫折を味わう事になる
これまではとにかく感謝された
誠意を示せば可愛がられた 認められた
君がいないと終わると言われ続けてきた
頑張るだけ報酬以外の評価を、形だけではなく精神的に得る事ができ、人脈も広がった
今はあの頃よりも重要な仕事をしています
指示されて末端として動く立場から
指示されてどうすれば人を動かす事ができるか、下準備をして人に指示する、
嫌われる立場です。
最悪なのが自分の裁量でなかなかさせてもらえない不可解な立場。
現代的な、仕事は上司系なのに権力を持たされていないケースですね。
そう。昔ずっと可愛いがってもらえたのは
会議前に自らテーブルを拭くだけで感謝されたあの頃、
雪の中帰ってきた上司や先輩たちにコーヒーを振舞ったりして楽しんでいたあの頃。。
それは私そのものの力ではなく
誠意で得た若さなりのチヤホヤでした
学生が進んで体の不自由な方に席を譲り、
有事の際、「勉強になりました」と頭を下げれば
かなり将来が楽しみに感じますが、社会人としては当然すぎる行いで、それを50歳のおじさんがやっても記憶に残りませんね。
傾向の話です。
若さというのは強い
そしてすべての年配者はこの若い時代を経由していますが、
若い人たちもしくは我々が若い時にも、
若さが当たり前過ぎてこの恵まれた立場を知らない。
キャリアを積めば、今よりチヤホヤされる
グズグズ理不尽なことは言われない
今より力をふるえる
でもそのキャリアを積ませてもらえない
あの上司がいるから
自分はこのままだきっと
わりとそう思ってる
ただ、ほとんどの人がそうだとおもうけどでもね、20代で感じるそれと
50代で感じるそれは、その絶望感は比較にならないのではないかなと思う中間世代の視点です。
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さて、それを踏まえた上で
家族でさえドロドロとした喧嘩になるのに、家族以上に長い時間を日々過ごす社内で
本音が出ないわけがありません。
そして家族とは違い、そこに家族愛はありませんし利害関係&格差をつけて組織的に見お金のために存在している集団ですね。
そう
だれも私の意見なぞ求めていない
という事を知るべきだなと感じました
もっと的確な言葉を選ぶと
聞き手の仕事がらくになるor会社が良くなるけど聞き手の手間を増やさない
そんな話以外のみかずきの意見なんてどうでもいい
というのが本音でしょう
こういうはなしから会社は良いものが生まれる事もありますが、マイナス要素の方がおそらく大きいですね。
私が若ければ、わたしが愚痴れば
信頼されている!
と思い、上は嬉しかったかもしれない。
逆はどうでしょうか。
若い頃、上司の愚痴を聞いて楽しかったかな?
否です。
母親や姉は、頼ってくる子の愚痴も悩みもなんでも聞きたいものだと思いますが、
子としては親の愚痴や悩みは聞き続けるのは苦痛です。
つまり、後輩たちは
自分の話を聞いて欲しい!とは幸いにして思ってくれたとしても、
だからと言って、お前の愚痴などは聞きたくない
と思っていることを知るべきですし、後輩に愚痴ってもいいことはない気がします。
では先輩上司に対してはどうでしょうか
叶えられる・助けることのできる具体的な悩みや愚痴ならば歓迎してくれるでしょうが、
長年家族以上にともにいる、すでに見飽きた域の中年後輩の、先の見えない不明瞭な悩みや重い話など、自分が責められているようでおもしろくないですし、叶えてあげられない無力感もありますよね。
負の感情はやはり出すべきではないなとかんじました。
なんだろう、
だれも幸せになれず、解決もせず
不毛だなと。
こうしたことを考えていると、
お仕事は基本どれほど腹が立つ事があっても、やはり正当性に関係なく、愚痴らないのが1番、愚痴っても意味がないとなります。
…が、解決可能な悩みの場合は
解決策をもって自分より上に解決してもらう悩み相談のみ、ありかなとかんじました。
中間世代は1番、だれからも相手にされません
どの本もおしえてくれないけど、
中間世代は1番、相手にされてません
だから、悪いことしてないのにうまくいかなくなったのは、必ずしも自分に落ち度があったわけではない。と慰めたい
予想以上に相手にされなくなったり、
予想以上にひとつのことでも嫌われてしまい辛辣な扱いやゴミのように扱われるのも
若くないからフォローしようとも
気を使ってもらえてるわけでもなく
どこにでもいる中高年のおじさんおばさんで一括りにされる世代に入った事で、
どうでもいい
扱いになってるだけ。
相手も自分の事でたくさんなんです。
それを悲観的にみるかどうかは人次第。
ただ、どうでもいい存在とわかれば、やはり出世などはかなりどうでもいいなと思わざるを得ない。
お給料の高さではなく
継続して得られるお給料
におもきを置きたい。
そうすると、愚痴らず雪だるま式に増えていく
評価されないどうでもいい仕事を抱えるのも悪くない
仕事があるだけありがたい
その継続して得られる、今のご時世貴重なお金で、
自分にとって大切なものと時間を守れればいいじゃない。