みかずきのいえ

 
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ひとりごと まだまだ来ない更年期

おはようございます、みかずきです。
みなさま、三十肩•四十肩•更年期障害等はお済みでしょうか。

私の場合、四十肩はこれから可能性があり、更年期障害はもう少し先になりますが、三十肩は結局なかったなーという所です。
大阪にいた頃、20代半ばくらいかな。
上司の激しいパワハラにあい、今で思うと更年期障害そのもののようなものが体に起きていましたが、あの時期をこえて今までそういう事はありませんでした。

あの頃はストレスもすごく、また若く、私も未熟で、
プライベートでまわりに当たり散らしたり怒鳴ったりする事もありました。
内面の未熟さを指摘された事も何度もありました。
泣いて帰る事もよくありました。

私は20代から30代頭まで、本当に辛いことが多く、よく泣いていました。
今の私を知る人はおどろくかもしれませんが、私は本当に感受性豊かで、よく怒りよく笑い、万物を愛し、万物を憎み、深く傷つけ深く傷つけられ、笑っていた記憶よりも圧倒的に泣いていた記憶の方ばかりが残っています。


こんなに辛い思いをするのなら
どうかこの感情が切れてしまいますように…

そう願い続けてさらに数年、つらいことがあった時に、「何も考えない」「感傷的になる部分を徹底的にあらいだし、そこの感情だけを考えないようにする」
この訓練を常に行いました

一生懸命行いました

今私がおだやかにいられるのは、長年の苦労と自分を研究しつくして、自分で自分を守り律し、継続させた賜物です。


成果はあり、そんなふうな時代があったことさえ普段は忘れていて、昔経験したにもかかわらず忘れているので、
こんな気持ち初めてだな、なんてまるで過去が他人事のように今の感傷に触れる事があるほどです。

さて。

ほとんどいろいろなものを忘れたまま私はこの感情や思い出を思い出す事なく完全に数年をすごしましたが、
あの頃あの昔パワハラをうけていた上司の訃報により、いろいろな苦労が自分の中でよみがえり、しずかに自分に蓄積された気がします。

子供の頃から泣いてばかりいた泣き虫みかずき。
今ハカセに出会うまで、みかずきはいつも泣いていたなぁと思います。
自分で自分の感情に蓋をし、一切の過去に触れないまま、自分でも忘れていたたくさんの事。

そういえばあの頃くらいまでは学生時代の友達との付き合いもあり、夜泣きながら電話する事もありました。
大阪の御堂筋でわんわん泣いてる事もあった

その後感情を絶ち、家族も含め全ての人と連絡を絶ち、ただただ一人でお酒を飲んで仕事をして、その間も色々あったけれど徐々に徐々にグラデーションが薄れていくかのような感じでなくなっていって数年が経過していきました。


私がハカセが放つ「お友達が欲しいです。゚(つД`)゚。」というゲーム上の日誌に目がとまった時、なんて感受性の豊かな人だろうなぁと思った時、もしかしたらなつかしさをかんじたのかもしれません。自分では無意識でしたが、今…最近思ってみると、です。

この人はどの日誌にも楽しそうな事、勇ましい事ばかりかいていて、それに群がる人たちも楽しそうなハカセ•強そうなハカセに人が集まっていましたが、私からみたら、この人のすべての日誌の根底には「お友達がほしいよ。゚(つД`)゚。」と切実に泣いてるように見えた。

本だけはたくさん読んでいたので、今にして思うとそういうものを読み解ける力を身につけていてよかったと思います。

ハカセとの時間は楽しかったことやまったりしている事がほとんどです。
楽しくなかった思い出などはひとつもなく、虚無時間などはそれはそれは多いけれど、根底にあるのは常に安心感です。

泣いたなーという記憶があるのは、みかずきがちょっと100個くらいやきもちを焼いた時くらいで、他にもいくつか喧嘩はあったもののなんだったのか記憶に残っていません。

あの頃、こんな未来があるなんて思わなかった
心身共に安心しきっているのか、老いは感じるものの激しい感情の揺さぶりがまったくありません。

滝のように泣くような、そんな日々が子供の頃から当たり前にあった私には、そうじゃない生活が「当たり前のようにある」なんて知らなかったし、
本当今おもうと気でも触れてたんだろうなと思います、昔は。

たくさん本を読み、ものごとをたくさん考えてきました。
色々なことを乗り越えてきたなと感じます。

パワハラをしていた上司のことは、本当にひどい人だったけど不思議なことに結構好きでした。
仲良くなりたかったけど、あまり仲良くなれなかった人。
厳しい人だったけど、私の仕事ぶりはかなり認めてくれる人で、今の私のお給料がそこあげされている礎を築いてくれたのも彼でした。

東京行きも決めてくださり、
私が東京へ行ってからは私に電話してきてばかり。
本社の誰かに用事があるときは、私に内線をまわせと。
その間いつも20分ー1時間おしゃべりはお約束。

定年前でさみしいのかな、そんなふうに思い忙しくてもそんなそぶりは見せず、根気強く相手をしていました。

「あなたならやっていけるでしょう」
「あなたはそうは言ってもいつも乗り越えてきたでしょう」
「つよいよ。おれが見てきただれよりもあなたは強い。その自覚はないだろうが。まぁ、そこがあなたの未熟なところであり、おれはいいとこでもあると思うんだけどね」

よく言われた言葉たちです。
取引先を殴って怪我させたり、部下はほとんどパワハラに耐えかねて辞めていく始末、実家とは縁を切り、離婚で子供とも会えなくて…
そんなめちゃくちゃな人でした。

会社でも誰も近づこうとせず、
私も好きではないから自分からは近寄らなかったけど、彼の付ける成績だけは、本当によかった。
これまでのどんな上司からよりも評価だけは高かった


そんな彼のことだから、おそらく人生で1番おしゃべりした相手は、私だったんだろうなと思う。

ご自宅で定年後約5年。
死後かなり時間が経過し発見されたそうです。
対応をした方々や近隣住民はとても大変だったと思うけど、べつに本人はそんなこと知らないわけだから、そこはあの人らしいなと思いました。
また、つっぱって誰とも連絡取らず、医者嫌いでドクターストップかかっても書類もろどもつっぱねてたんだろうなと。


あれほど嫌われていたけど、私だけは彼の素敵なところをたくさん知ってるし、笑った顔も声も、私が1番よく知っているのかもしれません。

お悔やみ申し上げます。
東京行きを決めてくれてありがとう
こんなコミュ障の私に、キャリアをくれてありがとう

あなたのおかげで未来がひらけて、いろいろあったけれど大きな出会いがあり、みかずきは今ものすごく幸せです。

社会的不安はともかくですが汗


あの笑っていた顔やたくましかった背中、スーツの似合うあのたたずまいだったあなたが、もう朽ち果ててこの世にない事の喪失感は計り知れません。


寝坊して遅刻した私に、笑いながら
「寝坊できるなんて若い証拠だ。俺らはもう寝たくても寝れねーもん、朝早く目覚めるからさぁ」
なんて笑いながら、うらやましいうらやましいと寝坊を不問にしてもらった事も忘れません。

わたしね、もう更年期障害なんて考える年齢になりましたよ。
仕事のしすぎで頼れる人よってこねーぞっていわれてたけど、大事な人もいるし、ちゃんとストレッチもしてます。

あなたみたいに後輩のことひどくあつかってないから、たぶん嫌われてもないと思います、すくなくともあなたよりは笑

これから更年期障害とかはじまっちゃった時は、あなたが色々言ってたことやってたこと、思い出してみますね。


お疲れ様でした。