おはようございます、みかずきです。
せっかく朝晩少し気持ちのいい季節になってきたので、何かおいしいものが食べたいなーと思っている今日この頃
最近ブログを更新していなかったのがこの夏凶悪なまでのインプット欲であまり書き出す気持ちにならなかった事。
今後も当分そうなのかもしれません。
お仕事もプライベートも基本的にものすごい量のアウトプットがあり、そこで満たされているともいえるのかなと。
Twitterは言葉の誤用が多すぎて自分もいつかそれに呑まれてしまうと思うと過度の使用は躊躇ってしまいます。
ものごとは何でも「ほどほどに」
せっかく朝晩少し気持ちのいい季節になってきたので、何かおいしいものが食べたいなーと思っている今日この頃
最近ブログを更新していなかったのがこの夏凶悪なまでのインプット欲であまり書き出す気持ちにならなかった事。
今後も当分そうなのかもしれません。
お仕事もプライベートも基本的にものすごい量のアウトプットがあり、そこで満たされているともいえるのかなと。
Twitterは言葉の誤用が多すぎて自分もいつかそれに呑まれてしまうと思うと過度の使用は躊躇ってしまいます。
ものごとは何でも「ほどほどに」
これまで2年ほどひどい不摂生をしていたので、まずは出来るところから生活を正していかないとなと感じています。
駆け巡る思考は直接書き出すよりも何倍何十倍も早いそうです。その中で私たちがこうして書き出せるものは思考のほんの一部。それでも書き出さないよりは考えの一部にピンを留める事ができますね。
駆け巡る思考は直接書き出すよりも何倍何十倍も早いそうです。その中で私たちがこうして書き出せるものは思考のほんの一部。それでも書き出さないよりは考えの一部にピンを留める事ができますね。
わりと近年考えている事だけど、私はわりとなんでも「やり方」を質問されやすい。話しかけやすいのでしょう
少し調べれば分かることでも、最近の調べ物はアクセス目的の故意な誘導を重ねさせるサイトも多く、分からない人が調べるには余計なものが多いと思い、基本的には快く教えています。
またその方が「質問する人」の賢い手段とも思うので。
※他の誰でもなく私に質問するから尚更ね、賢い手段だと思います(少し皮肉を込めて)
少し調べれば分かることでも、最近の調べ物はアクセス目的の故意な誘導を重ねさせるサイトも多く、分からない人が調べるには余計なものが多いと思い、基本的には快く教えています。
またその方が「質問する人」の賢い手段とも思うので。
※他の誰でもなく私に質問するから尚更ね、賢い手段だと思います(少し皮肉を込めて)
でも最近教えた先の人が仕事でもプライベートでも
私が教えている最中に「(質問する人)は勉強家で努力家でえらいねー!」と横から口を挟まれます。私はこれに強い嫉妬を覚えます。
みかちゃんはこういうのは得意でササッとおぼえちゃうもんね。でも〇〇さんはすごいね!どう?難しい?
→いや聞いてみると大したことなかった
みたいなケースが日常的にあって、少し前まではなんとも思っていなかったけれど、最近はこの年齢に対して学ぶもので溢れているだけに、こういう賢く、人が苦労して得た「結果の結晶」だけを教えてもらいに来られる事に(それはいい)
それでその人が目の前で努力家と褒められることに、ひどく…得も言われぬ嫉妬感…を覚えるようになりました。
私が教えている最中に「(質問する人)は勉強家で努力家でえらいねー!」と横から口を挟まれます。私はこれに強い嫉妬を覚えます。
みかちゃんはこういうのは得意でササッとおぼえちゃうもんね。でも〇〇さんはすごいね!どう?難しい?
→いや聞いてみると大したことなかった
みたいなケースが日常的にあって、少し前まではなんとも思っていなかったけれど、最近はこの年齢に対して学ぶもので溢れているだけに、こういう賢く、人が苦労して得た「結果の結晶」だけを教えてもらいに来られる事に(それはいい)
それでその人が目の前で努力家と褒められることに、ひどく…得も言われぬ嫉妬感…を覚えるようになりました。
育ちもあるのかもしれません。
我々はPCやスマホが台頭した前後に仕事をしているので、聞く人がおらず自分の失敗や試行錯誤・調べてから覚えるを繰り返していたので、この世代は「調べずに質問する事」を殊更嫌います。
私はそれについては質問してくる人の成長に期待していないので、初めからこたえをあげていいと心底思っているし、私の結晶も惜しみなく差し出している。
私は私の苦労を私が知っていればいいと思っているけれど、それでも教えている途中に
「教えてもらっている人の姿勢」を褒められると、得も言われぬ嫉妬心に駆られる
私はエンジニアでもなんでもないただの事務員なので、ハカセに知識で勝るものは何一つありませんが、教えてもらう知識には相手の挑戦や努力の結晶であることはこれまでもこれからも意識しておかなければならない、と思います。
それが教えてくれる相手へのリスペクトかなと感じます。
もし、横からだれかに褒められたら、それはハカセの努力や過去の挑戦や調べた時間、繰り返した失敗の末に得た凝縮された「解」である事。
我々はPCやスマホが台頭した前後に仕事をしているので、聞く人がおらず自分の失敗や試行錯誤・調べてから覚えるを繰り返していたので、この世代は「調べずに質問する事」を殊更嫌います。
私はそれについては質問してくる人の成長に期待していないので、初めからこたえをあげていいと心底思っているし、私の結晶も惜しみなく差し出している。
私は私の苦労を私が知っていればいいと思っているけれど、それでも教えている途中に
「教えてもらっている人の姿勢」を褒められると、得も言われぬ嫉妬心に駆られる
私はエンジニアでもなんでもないただの事務員なので、ハカセに知識で勝るものは何一つありませんが、教えてもらう知識には相手の挑戦や努力の結晶であることはこれまでもこれからも意識しておかなければならない、と思います。
それが教えてくれる相手へのリスペクトかなと感じます。
もし、横からだれかに褒められたら、それはハカセの努力や過去の挑戦や調べた時間、繰り返した失敗の末に得た凝縮された「解」である事。
とくにこの数年は新しい事を大量に覚え、人にも教えさせられていた結果がなんだか吸い取られるだけ吸い取られて、悲しくなったので記載しました。
ブログ書かなかったように、ひたすらアウトプットをリアルで行った結果枯れ木のような気持ちになったので、ここでまでアウトプットしたくなかったのもひとつはあるでしょう。
これからは自分のために再びインプットにつとめます。